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casa-M3の工事記録
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プロローグ
解体〜設計
地縄〜杭工事

コンクリート打設/型枠工事
コンクリート打設/型枠工事2
コンクリート打設/型枠工事3
いざ内装工事へ、そして外壁塗装
竣工
エピローグ

設計者 建主
敷地に残された解体前の古屋。



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20040401

敷地に残された解体前の古屋。
鉄骨3階建て。アパートとして使用していたもの。一階は売主の倉庫として使用していた。それぞれの部屋、屋上へと行き、景色や光の入り方などを確認。一応写真もとるが、体に記憶させることが設計には大きく響く。確かここは、隣家があってほとんど視界はないとか、大きく空に抜ける視線が確保できる・・などなど。それにしても古屋という表現は儚くて物悲しい。不動産用語では上物とも言う。より即物的な表現である。大工さんは親しみを込めて家とよび、建てぬしは通常住宅と呼んでいる。
住宅メーカーにとっては商品である。表立って言っているかどうかは別として。建築家(設計者)は作品!と呼ぶことが多い。それもどうかと思う。やはり家は家なんだろうと思うのだ。設計者がお金を払って自分のために作ったものではないのだから。

は新築と平行して中古物件を購入してのコンヴァージョンも検討していた。敷地に建つ建物はコンヴァージョンの対象物件としてギリギリの可能性を持っているように私は感じた。が、結局、30年余りの間1度のメンテナンスをしていないため老朽化が激しいことで断念した。日本の家屋はどうしてわずか30年程でこれほど痛んでしまうのだろうか。ヨーロッパでは建築後500年以上の物件が現役である例はざら、地震国イタリアでも、である。比較的歴史の浅い国、アメリカでもアンティークの部類に入る建物を大事にしながら住んでいる。これらにくらべ日本の住宅寿命ははるかに短い。住宅そのものの耐久性の問題なのか、それとも住む人間の、いわば文化の問題なのか。それとも住宅を巡る産業の営利主義がそうさせているのだろうか。壊される運命にあるこの建物もわずかだが役にたった。新たに建てる建物とほぼ同型なため、光の当たり方、屋上の眺め、隣家との距離感などを実際に体験することができた。芦沢さんの設計がすすみ、この体験を芦沢さんの提案にかぶせることにより、より具体的に案をイメージすることができた。一方で、6月末に売買契約が成立したため建物に対する固定資産税の半年分、およそ6万を払わなければならなかった。

解体工事



20040717

解体費は、施主持ちとなっていたため、解体工事屋にいくつか見積もりを出すことになった。通常は、工事会社に一括して見積もりを出すことが好ましいと言われている。理由はいくつかあるが、解体工事が最もクレームの多い工事であるということが大きな理由。次に本体工事を請け負う工務店に迷惑がかかる場合があるということと、解体工事が手抜きを行った場合(基礎残し、産廃を現地に埋める)のリスクがあげられる。あえて、私が分離にした理由は、地盤調査、周辺環境の確認をするためである。また信頼できる解体業者を知っていたことも大きい。通常工事会社は、解体費の売り上げの10%以上経費として持っていく。それを施主の工事費にきちんと還元できるのが、別途工事の強みである。ローコスト住宅を実現する場合、リスクを理解したうえで、出来る範囲で自分でやるというのは、有効なコスト削減であることは言うまでもない。

解体を済ませて更地になった状態で始めて私の土地の購入予定価格となる。土地の価格に割安感があっても解体に大きく費用が掛かるようでは予算を上回ってしまう。土地の購入を決める前におおよその解体費の見当をつけておきたかった。偶々建築業を営む知り合いがいたため、現地を見てもらった。おおよそ3百万円ではないか、とのことだった。土地の価格に3百万を上乗せしても予算にギリギリ見合う程度だったので購入を決めた。ところが実際にこの知り合いを通して解体業者に見積もりをとったところ、安い業者でおよそ5百万、高い業者では1千万近く、という予想をはるかに上回る見積もりが上がってきた。これではせっかく割安な土地を買った意味がなくなってしまう。これだけの予算を割けばもっと条件の良い、しかも更地が見つかる。

結局、念のため、芦沢さんが並行して当たってくれていた解体業者が3百万を少々上回る価格で解体してくれることになった。当初見積もりを頼んだ知り合いの業者に対しては、土地の購入そのものを見直さなければならない状況になる可能性もあったわけで、いささか憤慨した。
更地

解体後に現れた隣家の壁や、万年塀。
ほとんど二階レベルまでは、道路部分の除いて直接光は入らない。通常敷地境界からの距離は民法では500ミリということになっているが、200ミリくらいまで迫っているようだ。とすれば、我々も200ミリまで境界に迫ることができるが、室外機の置き場所、足場などを考慮して、500ミリほど境界から空けている。

非常に時代を感じさせる、木造モルタルの隣家。そして今にも壊れそうな万年米。すでに倒れそうで非常に危険なブロック。これらが民民の境界の根拠となっており、後々問題を引き起こす。その話に関してはまた後日書くこととして、まず解体後の状況をどのように設計に盛り込んだかを書く。

隣家の高さ、南側6m、東側6m、北側9.5m程度。
2階レベルでの採光は可能だが、道路側を除き視界が開ける部分はない。朝日は3階は十分に当たり、3階レベルでの、視界は、北側を除きかなり開けている。これは、古屋においての屋上で確認はできていることであったが。連続写真をとり、境界上の建物をパノラマでみれるようにした。頭で分かっていてもビジュアルで手元においておくと、これが案外設計に役に立つ。1階の駐車場、ならびにエントランス周りの道路との関係、隣地との関係も確認。
なるほど。なるほど。さて、いざ設計へ。

土地の購入、そして解体、更地現る。現地を芦沢さんに見てもらった。狭小な上にL字型という変形な土地。素人の想像の付かない部分での問題があるかどうか、解体前の屋上から隣との距離、日が差し込む方向、など実際の物件を詳細にわたり確認してもらった。「面白い物件ですね」この芦沢さんの積極的な一言で購入を最終的に決めた。7月の暑い夏の土曜日、ご近所にあいさつ回り。隣家との空間がほとんど無いに等しい。素人目には解体できるのか、との不安を私は抱く中解体が始まった。ほぼ1ヶ月に渡る解体工事、事前に私が想像したよりは結構かかる。隣家との距離がほとんど無く、解体工事としては難工事の部類にはいるのか。予定通りの終了。解体後、ご近所の方とお話をした。やはり、騒音は酷く、そして埃がそれ以上に酷かった、とおっしゃられていた。ただ「どんな家が建つのでしょうね、楽しみにしています。」、さらに手前味噌ながら「良い方に隣に住んでいただけるようでほっとしています」との言葉に将来のご近所付き合いもスムーズに行きそうだ、とのちょっとした安心感を覚える。6歳の娘にも積極的に挨拶をさせた効果か。更地になり、改めてその空間を実感する。およそ22坪、思ったより広い。むしろ隣家が迫っているが故か。日当たりは悪い。これも想像した通り。明かりの取り込みはどのようにするのか、風はどのように抜ける建物になるのか、芦沢さんのお手並み拝見。

設計始まる

法規、予算、要望などの様々な条件整理と、可能性のあるプラン、工法を思いつくだけ書き出していくことが最初の設計活動である。スケッチ段階では、何十という数のプランを作成する。時間をかけて作成するものもあれば、単純にバリエーションとして用意するものもある。そして再度整理された条件と見比べながらスタッフの関川と打ち合わせを繰り返す。いくつか有力な案をつくりあげると同時に模型制作をする。
1/100の簡単な模型だ。それを何度となく建主に見てもらいながら順調に設計は進んでいった。
と、同時に構造家との設計も進めていく。構造設計は江尻建築構造事務所の江尻氏にお願いした。私がワークショップ時代からの付き合いで、いつも新鮮なアイデアを持っている。それは氏が、建築構造設計のみならず、土木構造や工法の開発にも携わっていることが大きいのだろう。また打ち合わせ時のレスポンスの良さが素晴らしい。私が最初の打ち合わせでお願いしたのは、L型の敷地を活かすことが出来る工法である。当然のごとくその後何度となく打ち合わせと資料のやり取りの末、ラーメン構造でも壁構造でもない中間の工法をとる軽やかな構造となった。柱型も梁方も、生活上邪魔な壁もない。L型つまり、X・Y方向の壁の量が均等に取れるゆえの技である。
大枠が決まってくれば、あとは細かい設計となっていく。設備の考え方(設備設計は、住宅であれば外注しないことが多い。)や、内装についてなど。
設計も大詰めを迎えたころ、館山の別荘に案内していただいた。生活者の達人である建主の力量に感服。


芦沢さんにお願いした点は、コンセプトとして、風が抜けること。都心で安心して暮らせること。必要な空間として夫婦、子供の個室、客間となるユーティリティースペース、親子3人が並んで使えるワーキングスペース、開放的なバスルーム、それに友人を呼んでパーティーが開くことのできるキッチン、ダイニングスペース。あとは新進の設計家としての芦沢さんが試してみたいこと、挑戦してみたいことを果敢に実践してほしい、とだけ伝えた。予算は3千万円。第一弾として上がった案はすでに私の納得するものであった。川口の家を拝見していただけにベクトルの向きがずれていなかったことを確認、これ以降の芦沢さんの提案も的を得たもので大きく変更をおねがいすることも無いまま設計は進んだ。房総半島に建てた家は古民家を移築し、イギリスの民家風に仕上げた。設計をお願いするにあたり古部材を使い慣れた方にお願いした。おかげで群馬県富岡の解体前の古民家が見つかり、尺角の、しかも6メートルの長さの欅の大黒柱を手に入れることができた。一方で、イギリス民家風の設計については、私が写真集を見せたり、模型を作ったりして説明したもののなかなか理解してくれず非常にてこずった。前回の経験を思えば今回は非常に楽なやりとりに終始した。2月22日現在、芦沢さんとのやり取りは201回のメールそして、実際にお会いすること20回ほど。海水浴がてら千葉の家にも来て頂き、ついでに参考までに館山の家を見ていただいた。
実施設計/確認申請



確認申請では、すんなりいく場合と、すったもんだトラブルが起きる場合両極端である。今回は思いもよらないことから手間がかかってしまった。役所が前面道路の図面が違うのではと言い出したのだ。そもそも、道路の図面は同じ役所内にある道路課から取り寄せたものである。いまさらそんなこと言われても困る。なんと2度までも役所の人が現地に赴き、その結果やはり図面が間違いといことになってしまった。さらに後退距離が長くなり、敷地は小さくなることに。道路の幅や、敷地の大きさは大きく計画に響く。特に今回の場合道路からの斜線制限をぎりぎりかわしてした関係で、大幅に設計変更をせざる得ないところまで追い込まれた。悔し紛れに、道路課に再度問い合わせ何とかならないのかと聞いたところ、首を横に振るばかり。困り果てながら、ぼそっと「天空率を使うと道路斜線をかわせる可能性がある」と教えてくれた。その日の夜から、天空率の勉強と、天空率計算のfreesoftと格闘である。港区役所でもそれほど天空率を扱った例がないらしく、都庁とやり取りしつつ、そのフィードバックを港区役所に伝えてやり取りをした。私が知る限りcasa-M3 のため役所は2度の会議を開いている。こちらの言い分が通ったときに、役所の人が「おめでとう」と言ったのが印象的であった。


これまでも建築関係にかぎらずさまざまな場面で役所の柔軟性のない対応に遭遇したことがある。今回の場合、こちら側にはまったく落ち度がない。役所にある。しかも元になる図面が違う、とちょっと想像しにくいミスが発端である。無論だれにもミスはある。問題はミスを認めずに、弱い立場にそのツケを払わせること。勿論、予定がずれ込むことにより私にも負担がかかる。それ以上に何度も芦沢さんが足を運ばなければならないための、時間、経費のロスは計り知れない。これらの経費をどうみるのか、私には判断のつかないところだが、今回はすべて芦沢さんが吸収してくださった。

一方でこのやり取りの結果、天空率との、私にはわかりかねる概念が登場。結果、以前よりも大きく床面積がとれるようになった。塞翁が馬、というべきか、怪我の功名なのか、粘り強く交渉していただいた芦沢さんに感謝。
copyright
Keiji Ashizawa
2004