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あたらしいものづくりの時代

住宅建築6月号に書いたコラムです。本当のことをいうと、makersという本を読んだあとで「おー、これからのものづくりは違うぜ。」的に若干熱くなっていたところもあります。同時に2年という長い年月をものづくりの現場にどっぷりつかっていたこともあり、いままでの仕事をふりかえると部品や家具を自前で作ることでなんとか質を保ってきたところもあります。このコラムは、そんな思いや経験をえいやと書いたものです。ちょっと威勢よく書いているわりに実例がちっぽけなのが気になりますが。。。

ともあれ、ひさしぶりに読んだ住宅建築。やはり渋い雑誌です。いい記事がたくさんあります。(むしろ私のコラムはおまけ)ぜひお手にとっていただき、できればお買い求めいただければ幸いです。

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あたらしいモノづくりの時代:

建築は多くの部品から出来上がっている。その事実は、私自身はじめて設計図書を作成するときに、大きな壁として立ちはだかった。そして事務所のバックスペースにある膨大なカタログ棚の意味を突如として理解した。これを覚えないことには何も始まらないのだと、本棚の左から順番に、丁番や、ドアノブ、照明器具などのカタログを片っ端から見た。ひととおり頭にプロダクトが入ってくると、今度は案外欲しいものは少ないことに気づいた。設計事務所のマーケットなんて大きな住宅産業においてあまりに小さなパイである。多くは何とか風というような悪趣味なもので構成されており、町がこのような製品によってできている事実にはいまでも残念でならないのだが。。。さて、頭に商品が入ってさえしまえばカタログ棚の前に立ち尽くすことなく、いつものお気に入りの品番をスペックしていくという作業に切り替わる。さらに知識が増えてくると、本当に使いたいものはカタログに載っていないじゃないかということに気がつくことになる。よく考えれば当たり前のことである。すべてがカタログに載っていると思うほうが間違いだ。そして特注を恐る恐る試みた。当時はネット情報ではなく、タウンページで町工場を探すことになる。そして特注という大海原に興奮し、どこまでつくれるのかチェレンジするようになった。特注という世界にどっぷり浸かる人生の始まりである。

そんなモノづくりの環境に飛び込んで様々のものをつくっているうちに、家具や照明を自分で設計して作ることの楽しさをしり、それらを制作してくれた家具金物屋(スーパーロボット)に2年ほど就職することになった。そこでは自分たちの展示会用プロトタイプ製作のみならず、多くの設計者やデザイナーのためにモノづくりをサポートした。現在は設計者と金物屋という関係にもどりはしたが、いまでも私にとっての大切パートナーである。またそこでのモノづくりをしてきた経験を踏まえ、いまもいくつかの工場と直接やり取りをして、リースナブルな部品を作ったり、特注家具や照明をつくっている。そうしたツールは私のとってはあたりまえのことになっているが、むしろそうした飛び道具なしにどうやって空間をまとめていいかわからないぐらいである。

建築全体のデティールコントロールは、思いの外空間に与える影響は大きい。いや大きかったというべきだろう。徹底してみた結果これは違うなと気づいた。大事なところは、窓まわりや軒先のデティール、家具や照明ということだと思うが、扉につく戸手やスイッチプレート、フックや水栓金物にいたる小さな脇役も、一貫したコンセプトをもち選択していくべきだと気づいた。そうした統一感からうまれる景色によって空間の印象は随分ちがってくるのである。空間をシンプルに美しくみせるためにデイテールを消してしまうのは、本末転倒だ。デティールにこそファンクションがあり、設計者の意図が最もあらわれるところでもある。それをみすみす放棄するのはなんとも残念である。必要なデティールをきちんとデザインすること、それはむしろチャンスととらえるべきなのだ。

そんな小さなデティールを特注している実例を紹介したい。開き戸用の引き手である。最初につくったのは2007年で、現在に至るまで長い時間をかけて改良しつつある。開発の経緯はもちろん、既成品に調度いい金物が存在しなかったからだ。開戸の金物としてハンドルは大仰だし、つまみでは使いづらい。プッシュラッチは大きな扉には不向きだし、2つのアクションを必要する。扉の中に納まり使いやすい金物を開発していくことになった。試行錯誤をしていくことになった。仕様によっては1つ1万円近くするものもあれば、20個つくることで2000円以下におさえたものもある。小ロット生産をすることで価格をさげるため在庫をもつことにしたものもある。最終的には30度に曲げたプレートを挟み込んだ金物で落ち着いた。これらは片側で使う場合と両側から使う扉にも対応している。また大きさは扉に大きさに比例して大きくしたり小さくしたり、クライアントの手の大きさを反映させたりもする。場合によっては特注の玄関の取手とのデザイン的な関係性をつくることもある。

この金物は、現在足立区の板金工場に発注している。彼らは精密板金屋であり、本来建築の部品をつくる工場ではないが、弊社が設計、販売をしている本棚も製作してもらっている。彼らのことは今から10年以上前に照明デザイナーである岡安泉氏に紹介してもらった。岡安氏は建築家のために必要な光を特注している。彼は最終的に器具をつくるが、それはあくまで特注された光のためであり、ときにその形はまるでコンピューターの箱のようだったり、まるでカメラを分解したようなものあったりする。彼が目指す本当に必要な光はカタログからは選べないのである。彼が光のことを考えるように、私たちも空間において必要なデティールとはなんなのかと考えるべきだ。そう考えた時に、やはり一度カタログ棚から離れてみる必要があるのではないかと思っている。本当に必要な機能から生まれるデザインを追求し、建築にそのデティールを展開していく。そこには正しい統一感がうまれ、豊かな空間が立ち現れるのではないか。もちろん、コスト的に既成品を使う選択肢しか残されていない場合もある。やはり少量生産はどうしても割高になる。しかしながら設計事務所が小さなメーカーとなり、少量の部品をストックしておくという作戦はないだろうか?

現実は、かつてジャンプルーベが、建築家をメーカーの営業マンだと蔑んだ時代からさらに悪化の一途をたどっているようにみえる。ローコスト住宅に疲弊し、現実をながめるならば既成品を選択しなければいけないかのようにみえる。しかしながら一歩外にでてモノづくりの環境を冷静に俯瞰してみたときに、プルーべの時代よりもはるかに特注の環境はととのっている。そして製作のみならず、販路も思ったよりも簡単に手に入れられる時代である。小さなチームをつくり建築設計の傍ら、そうした特注を販売するメーカーを運営することも可能だ。

簡単につくれる。そしてモノがよければ、売ることもできる。しかも少量生産であっても製造、販売ともに対応した工場とマーケットがある。つまり私達はいま、いままでにないほどの特注の時代に生きているといえるだろう。

そして、建築にあたらしい息吹を設計者のバイタリティーによって生み出せる時代にいきている。小さな取手にとどまらず、照明器具、家具、はたまた小さな住宅まで、メーカーの営業マンとよんだプルーべを見返し、自らメーカーとなり新しい建築を生み出す入り口に立っている。

すくなくとも私はそう信じている。