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ジャンプ

何かをデザインする行為を編集作業だという人がいるけれど、このマジックワードには根本的な欠落を抱えている。確かに編集的な側面はいなめない。つまり、状況を整理し、整頓していくという行為は、デザインを作っていく上での作業、そのほとんどだ。僕も建築を設計することはパズルを解くようにプランを解いていくという話をしていたことがある。それはどこか建築も編集だといってしまっているに近いところがある。それだけでは足りない。何が必要か?建築の設計、あるいはデザインの詰めをやっていく上で、大きなジャンプが必要だと思っている。そのジャンプがなければそのデザインは実はあっというまに消費されてしまうとすら思う。ところがそのジャンプは実はあまり上手に説明できないことも多い。言葉だけで組み立てていくデザインの危うさは、こうしたジャンプを否定してしまう危険性もある。
ジャンプのない、つまり詰めがあまい何かは、最後のジャンプをだれかにみすみすあげているようなものだし、僕の嘗てのプロトタイプをながめても、そのジャンプがないものが結構ある。残念。
条件の整理、コスト、マテリアル、すべて整ったうえでの、大きなジャンプ。そのジャンプをあえて具体的にいえば、素敵な偶然、もっと具体的にいえば、やはりオリジナリティーということになるのかな。
「オリジナリティーはない。」というマジックワードもあるけれど、おそらくクオレパトラの時代から同じようなことが語られているような陳腐な話だろう。このように、そこに頼りたいひとが頼る便利なワードが無数にあって、ついそこにもたれたくなる気持ちはわからなくもない。
とはいえ、僕はやっぱり「ジャンプ」を見てみたいし、ジャンプの生成過程、生みの苦しみは必要なんだろうと、そう思いながらうまくいかないプロトタイプをみつつ、ため息。昼ごはんにしましょう。