ビジョンを語ってみる

飛行機でジョブズの映画をみた。出来がいいとは言えないが、これから起業を考えている人にとっては背中を押されるところもあると思う。映画の中での彼のコメントや行動には起業家が持つべき資質とは何かが学べるし、(もちろん学ぶべきことではないこともある)同時に彼が天才がゆえのユニークさと自分とのギャップも見えてくる。
彼は映画の中で常にビジョンを語っている。もちろん映画だから誇張されているところはあるだろうけれど、ビジョンを語り続けたものだけにしか、それを実現するチャンスはないのだ。宝くじが当たるのも買った人だけという論理と同じである。まずビジョンを語る、書くことは大事なんだろう。ところがこれは天才じゃなくてもできる。例えば、居酒屋で突然話しかけてくるやからの多くが素晴らしいビジョン語る。彼らはくだを巻きつづけ、あるものは世界を変える。有言実行できるかいなや、そこだ。しかしだ、真似したくてもなかなか真似できない。今はAC ミランの本田が小学校の卒業文集においてミランに入ると書いたと話題になったが、これは同じようにビジョンを語った多くのサッカー少年のうちたった一人、彼だけが実現できたわけだ。同時に本田にしてもそのモチベーションを若いときから持ち続けたゆえの結果なのだ。
まずはビジョンを語ってみるか。来年の。。

繰り返すが映画の出来は良くない。

クライアントの役割

最近僕はしばしばクライアントである。残念ながら家を建てるわけではなく、家具デザインやグラフィックを依頼するメーカー、あるいは設計事務所としてである。クライアントの立場になると発注者側での重要な役割が見えてくる。そうした中で、建築におけるクライアントと設計者の関係は若干歪みがあること気づき始めている。その最たるものが「お施主様」というクライアントの呼称である。僕がクライアントとしてデザイナーにデザインを頼むとき、彼らは僕のことを決して「お施主様」とは言わない。当たり前だと思えるかもしれないが、建築の世界では、しばしばクライアントを「お施主様」と呼ぶ。ついでに言っておくと契約関係のない設計事務所と工事会社と間で、アーキテクトが「先生」と呼ばれる。僕はこれらの慣習が結果として大きな損失に繋がっていると思っている。はっきりいって面倒だし、弊害もあるのでここでしっかり書いておきたい。

たとえ話を書いてみる。出資を集め宝を探しに行くキャプテンは操縦士を始め多くのスタッフが必要になる。キャプテンは長旅においてチームの士気をあげるために、腕のいいコックやミュージシャンを同船させたほうがいいだろう。キャプテンは宝を探すために最高のチームを作ることが成功の近道だ。
このとき操縦士、コック、ミュージシャンは上下関係で結ばれるよりもパートナーであるほうがいい。そもそもリスクのある航海である。裏切りなどのリスクはつきまとう。宝は経費を除き4分割すると宣言すれば士気はさらに上がる。とはいえ船を持ち、計画を企てたキャプテンは様々なリスクを背負っている。だから会計を明示した上で報酬という形でコラボレーター契約することが望ましいだろう。パートナーである彼らは上下関係で結ばれた契約より遥かに素晴らしい仕事をするだろう。これは意匠設計者と構造設計者の関係に似ている。

さて話を建築のクライアントと設計者に戻す。クライアントにとっての最大の利益は最高のデザイン、家、建築である。宝探しと構図を重ねてみる。クライアント/キャプテンは良きチームを作ることが求められるだろう。建築はしばしば旅に例えられるほど時間がかかる。住宅ですら設計か竣工まで2年近くかかることもある。設計者は操縦士でありパートナーだ。正しい道程を探り、遂行するのが役割だ。キャプテンと相談し予算や船の大きさなどを吟味。どこまで遠出ができるのか、どれだけの財宝つめるのか、工程のリスクをチェックすることが求められる。時に才能があり、想像力豊かなキャプテンは船を操縦したくなるかもしれない。がしかし、もちろんキャプテンは操縦桿を握るべきではない。熟練の操縦士は、一見戸惑っているように見えて、最高の工程を臨機応変に組み立てている可能性もある。全体工程のコンセプト共有は必要だが、基本的に操縦は専門家に任せるべきだろう。だれも寿司カウンターの向こう側に行き、寿司を握ることが得策だとは思わないはずだ。キャプテンは大事なことをあらゆる局面で正しい決断をする準備をする必要がある。さらに大事なのは全体の士気が下げないことがキャプテンの役割である。良きチーム時に個性派揃いでコントロールが難しい。いかに最高の仕事をしてもらうか、頭を使うべきだろう。まだまだ書き連ねることができるが、キャプテンの役割は大きくコントロールし、才能豊かなチームを信頼することでプロジェクトを成功させることだ。

話を戻す。「お施主様」文化においては、「お施主様」の意向が最大化される。仮にそれが美しくなくても、チグハグでも、理にかなってなくても、最高の結果を求めるはずのチームはただ垂れ流される意見に従うチームへと成り下がる。思ったこと正しいことを言えないうなだれた設計者は現場で「先生」と呼ばれ少し自信を取り戻す。現場と先生は結託して、「お施主様」の意向さえ聞けばいいチームとなる。このチームが「お施主様」にとってあらゆる意味においてマイナスであり、危険でもある。

そろそろ結論を書く。あくまで理想の話として。
クライアントにおいてするべき本当の仕事は良きチームをつくり、チームのモチベーションをどこまで引き上げることができるのかだろう。もちろんこの役割をチーム全体に委ねることもできる。大事なことは素晴らしい結果のために、チームで動いている認識をして努力をすることなのだろう。チームで働いたことの経験があるクライアントであれば、スタッフや下請けの頭を押さえつけて、「働け!働け!」と言ってもなに一ついい仕事はうまれないことは知っているはずだ。「お施主様」と呼ばれて悪い気はしないかもしれない。僕も正直「先生」と呼ばれると思わず気が緩む。しかしながら、この立場に安住している限り、いい仕事はチームから生まれにくい。チームができた段階でゴールとゴールへの方法論を一度チームで話し合うといいのではないかと思っている。そして「お施主様」と呼ぶのも呼ばれるのも辞めるべきだろう。

どこまでデザインするのかを決める。

「どこまでデザインするか」この命題には大きなテーマが眠っている。今日はその中のほんの一部について書いてみたい。結論から言えば、語弊はあれど、どこまでもデザインするべきといえる。そうは言ってもデザインが出来なくなる壁が必ずやって来て、あるところで諦めざるえない。わかりやすい壁がコストだ。そして時間。(隠れた大きな壁はデザインフィーもあるが。)次の壁はクライアントからの要望であるが、本来これは対話で解決されるべき問題だ。そして設計者のスタンス、スキルと続く。
繰り返すが、僕はどこまでもデザインするべきだと思っている。その大きな理由の一つは、立ちはだかる壁を知ることがデザインワークに置いて重要だからである。そこでの選択こそが本当のデザインの分かれ道であるとも言える。様々な例をあげることができるが、ちょっと変わったところで設計者のスキルにおける壁の例を挙げてみたい。例えば僕は椅子のデザイン、絵を書くことはできるが、あえてやらないことの方が多い。でもソファーはしばしばデザインをする。己の技量を冷静に眺め、またクライアントからのコストを有効に使うべく判断は正しい壁であり、クライアントの利益である。そこでは外注するという選択肢もある。冷静にプロフェッショナルへ仕事を委ねる勇気も重要だ。またコストによって既製品を選ぶときと特注品との違いをよく知っておくべきだ。スタッフとのやり取りでは9割何でも作る覚悟で設計をしろといい、1割はコストパフォーマンスを考えてスマートに選べという。設計の内容と既製品がマッチしていればそれは素直に受け入れるべきであり、駄々をこねて作りたがるのはバランスがいいとは言えない。
次に別の視点から考えてみたい。まず空間は様々なチャンネルで繋がっている。当たり前ように聞こえるかもしえないが、この事実は案外共有が難しい。玄関のハンドルとキッチンのツマミの関係を論じられることは少ないが実は空間で繋がっており、触覚でも繋がっている。この事実に対し真摯に丁寧に対応することが空間のクオリティーを上げて行くのだが、そのためにはどこまでもデザインする必要がある。ここは安易には譲れないところだが、結構妥協しがちである。多くはコストにまける。一番負けたくないところである。コストで負けないために立ち上げたのが、「parts by commoc」でパーツメーカーである。このメーカーについてはまた別の機会に紹介したい。

プロフェッショナルインターン

設計事務所をインターンをしながら世界中を回るツアーをするというツワモノが今事務所にいる。ウクライナートルコータイーそして日本ーさらにオーストラリア、ニュージーランド、南米のどこか。。。へと続くそうだ。また、このツアーについて雑誌社と契約しており、写真と記事を定期的に発表するそうだ。こんなたくましさが、若かりし僕にも欲しかった。さらに彼女はアーキテクトになりたいと言った。キッパリと。とにかく彼女の未来は明るいだろう。少なくとも1年以上かけて回るアーキテクチャーツアーは彼女が将来何をやるにせよ、大きな大きな財産になるに違いない。

海外に事務所をもつこと

中国のクライアントに北京で事務所を出すようにと勧められた。言葉も喋れないなかで可能かどうかわからないし、必要なのかもわからない。(おそらく今は必要ない)もっというと僕自身のキャリアとして正しいかどうかもわからない。ただ僕が嬉しいと思ったのは、まず可能性がゼロではないということ。アワードの授賞式で行ってきた深圳ではからずとも世界中から野心をもってやってきたデザイナーと話ができた。既に多くのビジネスを中国でしているデザイナーや、もちろん、これからの可能性を探っているデザイナーもいた。ニューヨークから来たインテリアデザイナーは、人生ってゲームみたいなものだろって、仕切りに話していた。おそらくニューヨークから深圳に16時間かけて来て、美味しくないワインを飲んでいるとそんな気分になったんだろう。でも本当にそうだ。選択肢は常に潤沢に用意されている。そこでの選び方はロールプライングゲームでどんな武器を選ぶか、どの街にいくか、どんなパートナーを選ぶか。。その都度いかにその選択を楽しむか、その結果を楽しむか。
僕らにとっての人生はデザインであり、デザインは人生だ。だからデザインを楽しむこと、バラエティに飛んだクライアントと楽しむことは人生を楽しむことと同義だ。
北京と、中国とより深く関わること、ゲームをもっと楽しむか、ちょっと様子をみるか、その選択肢が手中にあると思うだけで人生が豊かになった気がする。もちろん参加しない自由もあるし、参加する自由もある。別のゲームに参加する自由や可能性のほうが重要かもしれない。とにかくその拡がりが嬉しかったのである。
(10年はやらないと思うが。。)

伝える努力

先日クライアントとの会食で、設計事務所は伝える努力を怠っていると指摘された。いやアドバイスされたと言った方がいいだろう。おっしゃる通りなのでぐうの音も出ない。それでいてクライアントには理解を求めるようでは本末転倒だろう。そもそもこのブログでは(といっても殆ど更新していないが、最近では)派手な宣伝をするなど仕事をとる行為はしないと宣言してきた。そうだとしても、我々の仕事とはなにか語り続ける必要はあることは間違いない。誤解されることの多い仕事であるし、公共性の高い仕事だからだ。そして建築人として、デザインとは、建築とはなにかと個人的な見解を語るべき、伝えるべきだろう。具体的に言えば、設計者を選ぶクライアントのために、デザインを志す若い人たちのために、あるいは良質な建築やデザインの恩恵を受けるはずの社会のためにとも言っておきたい。
そんなのことを思い、ふと思い立ってスマートフォンで更新するシステムを入れた。今更感は拭えないが空き時間を埋めてしまう悪しき小道具をつかって更新していこうと。ここのところ急増している移動時間を有効活用していこう思う。

先生について。アトリエオイ、小さな講演の紹介

何度か書いていることだけれど、僕には何人かの先生がいて、設計やデザインで困ったり、迷った時には「あの先生だったらどうするかな?」ということを考えたりする。スタッフにも「ピーターさんだったらどうするか考えてもみたら。」などと、所長業の放棄ともうけとれる発言をすることもある。

今日は僕のもう1人の先生、アトリエオイさんのお話をしたい。いまから7年前ぐらいだったと思う。ベルギー人の友人を通して、アトリエオイというスイスのデザイン事務所から協働のオファーをもらった。ローカルアーキテクトの仕事である。すでに看板を出して仕事をしていたけれど、何か学ぶことがあるに違いないと快諾。いや、当時仕事と名前がつくものは断ったものはなかったからいずれにせよ快諾していたのだと思うが。。
さて、彼らとの仕事は、高級時計ブランドのショップ設計。僕らの仕事は、日本とスイス間における設計の調整であったり、意欲的な提案に対するデティールの設計、現場監理が主だったものだった。結局、僕がそこで学んだものは、むしろアトリエオイそのもののコンセプトだったと思う。視察や打ち合わせのために、スイスに2泊。その間彼らと家具メーカーとの関係や、議論の進め方、事務所のあり方に芦沢事務所は相当遅れていることを認めざる得なかった。あれから7年たったわけだけど、まあたいして追いついてもいないわけだが。。
彼らの事務所は大きな一軒家を改装したものだった。そこには本格的な工房があった。実は3人のファウンダーのうちの1人は船大工である。1人はミュージシャン。そして残る1人は、間違いなくコメディアンである。商売にはしていなかったと思うが。棚やカウンターには多くのプロトタイプが転がっていた。そして、当時から顧客はスイスのグローバルブランドで、世界中に彼らの仕事があった。仕事は香水瓶のような小さなものから、スウォッチグループの建築ファサードを手がけるなど幅広かった。僕が感心したのはむしろそこではない。もちろん、大きくビジネス展開している彼らの才覚は尊敬すべきことではある。大きくは2つ。1つめは、経済的な成功をおさめながらも、決してブランドビジネスだけに埋没しようとはしていないこと。むしろ提案書を見る限り、そこにはアトリエオイらしい意欲的な提案が山盛りであった。2つめは、彼らのワークショップから生まれた小さなきずきを、インスタレーション、家具デザイン、照明デザイン、そしてインテリアデザイン、ビルファサードへと進化させていたこと。彼らのデザインのスタイルを隅々まで貫いていたことである。

僕が彼らを思い出す時、多くは自分への反省を伴う。クライアントの言葉通りに設計するのは実はそれほど難しくない。同時にそれは決してクライアントを満足させないこともわかりつつも、そこでの戦いを諦めざる得ないことも多い。つまり、戦いが激化すれば、仕事が停滞する。あるいは仕事そのものを失うこともある。その恐怖心は事務所経営や家族のことを思うとなかなか拭い去ることは出来ない。しかし、アトリエオイの提案にはそのちっぽけな、しょうもない保身がまったく感じられない。ブランドそのものを揺るがすかのような提案書をぶつけて行く。攻撃が最大の防御であるとはこのことかと、思った。
2006年以来様々な協働や意見交換、それぞれの新しい事務所訪問などを繰り返しいまにいたる。実は私はアトリエオイの名刺ももっている。:)

前段が長くなった。今日はアトリエオイの小さな講演会を紹介したい。僕は彼らの事務所のプレゼンテーションを数度みているが、いいものを見たなと毎回思う。それは彼らがデザインをみせるというよりは、彼らのデザインをして行く上でのプロセスを同時に伝えてくれるからだ。もちろんそう簡単には真似はできない。が、なにか自分にも出来そうだと思うのが最初のステップである。できるだけ多くの人に彼らの仕事、そのプロセスを見てもらいより高いレベルでのデザインを作り出すような環境が僕の周りに、日本にもっと、もっと生まれてくるといいなと思っている。

(ピエールケラーさんのお話は抜群におもしろいです。また今回は通訳をつけますので、安心して日本語でお聞きいただけます。)

詳細:

スイスの美術大学 ECAL創設メンバーである「ピエール・ケラー」氏と、スイスのデザイン事務所Atelier oI (アトリエオイ)の創設メンバーである「パトリック・レイモンド」氏の緊急来日に伴い、彼らの仕事の一部をお話しして頂ける機会を設けました。

〈定員30名限定〉
 8/27までに下記のメールアドレスまで、メールにてご返信ください下さい。
 株式会社スタジオアナグラム 橘あて 
tachibana@studioanagram.com
または芦沢事務所へ、
info@keijidesign.com

または、facebookにて。
https://www.facebook.com/events/228071174009629/

トークショーの後に簡単なお食事とドリンクをご用意しております。是非、ご参加くださいます様、お待ちしております。

2013.09.01 日曜日/SUNDAY
TALK SHOW 17:00-
PARTY 19:00-
at STUDIO ANAGRAM. INC.
Charge 1,500 YEN-

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●PIERRE KELLER ピエール・ケラー
 スイスの美術大学 ECAL(ローザンヌ美術大学)の創設の一員であり、著名なグラフックデザイナーでもある。
 http://www.pierrekeller.ch/

●PATRICK REYMOND パトリック・レイモンド
 スイスのデザイン事務所Atelier oi (アトリエオイ)の創設メンバー。
 彼らのクライアントは、LOUIS VUITTON、BVLGARI、Swatch、USM、B&B ITALIA など のクライアントを持つ。
 http://www.atelier-oi.ch/

〈 開催場所 〉
 株式会社スタジオアナグラム/ STUDIO ANAGRAM. INC.
 東京都港区西麻布3-3-1 TS HOUSE 2F
 TEL 03-6434-9428

〈 フランス語通訳 〉
 村田 明久美

〈 協賛 〉
 株式会社芦沢啓治建築設計事務所
 株式会社スタジオアナグラム/ STUDIO ANAGRAM. INC.

インドで会った二人のビッキー。

20年ぶりにインドにいくことになった。そんなわけで20年前のことを今週はよく思いだしていた。当時からインド旅行は人生が変わる、人生観が変わるといわれていたけれど、僕にとってはそんな大げさなことはなかったと思う。ただあまりにハプニングだらけの旅行に、どこにでも旅行できるような気になったこと、実際どこにいってもインド以上のことはなかったから、それは大いに役にたった。今考えてみても不思議なことがたくさんあった。一か月インドにいたのだけど、そのうち10日はインドで知り合ったインド人の家に泊めてもらった。なぜか不思議な友情が芽生えて洋服を交換したり、毎日観光につきあってもらったりした。そんなことは今後一切起こらないだろう。だれもおっさんは泊めてはくれない。帰りのチケットが使えなくなって、お金もなくなって旅行者の日本人に借りた。今思えば僕が返す保障はない。日本人を強く意識した瞬間でもあった。さまざまな遺跡や観光地をまわった。たしかにそれらはとても興味深いものだったけれど今でも思いだすのは、2人のインド人、僕をとめてくれたインド人だ。

不思議なことに二人ともビッキーというあだ名でよばれていた。単なる偶然だ。
一人目のビッキーは、おそらくちょっとしたお金持ち(その町では)だったと思う。出会いは忘れたが彼の家には2泊したはずだ。彼は敬虔なヒンズー教徒だったけれど、ディナーではお酒を飲んだ。お酒を買う時にまるでパチンコ屋の換金所のようなところでこっそりとお酒を買っていた。そこには小さな行列ができていた。そのお酒は日本に持って帰ってきたけど薬臭くて飲めなかった。。インドではおいしかったのに。。ビッキーとはお互いの家族の話や国の話をした。いやほとんどは聞いていたはずだ。国を語れるほどの英語力はいまでも持ち合わせていない。お酒も手伝って会話をしていた気になっていたんだろう。で、いくつかのオモシロイ話のなかで、ビッキーのガールフレンドの話はまるでおとぎ話ようだった。彼女はイスラム教徒だった。だから二人の恋は禁断の恋だったわけだ。あるとき彼女の父がその事実に気付き娘を折檻する。そして睡眠薬をのみ自殺をはかる。その噂は小さな町、ブッタガヤーでまたたくまに広がった。その話をきいてビッキーは生れてはじめてウイスキーを買う。そして急性アルコール中毒となり病院に運ばれる。そして二人の禁断の恋は双方の親が折れることによって実ることとなる。それでも世間の目は厳しいと言っていた。町へ一緒に買い物にいき双方の服を作り合うなどして友情を深め再会を誓った。

二人目のビッキーは、ジャイプールという町で歩いている僕にバイクで近づいてきた。実はアグラという観光地で詐欺師に騙されそうになり逃げるように街をさったあとだったので少々警戒したが、不思議と彼は大丈夫だという気がした。その予想は正しくそれから1週間すっかりいっしょに遊んだ。その間彼の仕事は大丈夫だったんだろうか・・・・。とにかく彼のバイクでヒンズーの寺や、マーケットや、滝壺や、観光地をくまなく回った。毎朝彼がつくってくれるチャイがおいしかった。最後に彼と別れる時に、「僕らはあまりコミニケーションはとらなかったけれど心は通じ合っていた」といった。その彼のセリフとその情景はいまもありありと思い出すことができる。彼とも再会を誓った。

その後、二人のビッキーとは一度もあってない。一度ジャイプールのビッキーからは電話がかかってきた。手紙も書いた。手紙をもらった。とても感動的な手紙だったように思う。いまだったらfacebookでつながったりするんだろう。いずれにしても僕がおぼえているのは、二人の名前、あだ名と町だけだ。住所や電話番号もすべてわからない。だから会うことは不可能に近い。インドの思い出は、詐欺師やカメラを盗まれたこと、おなかをくだしこともあるけれど、二人の友人のおかげで美しいものになっている。ちょっと感傷的に思われるかもしれないが、二度と会えない友人が思い出を美化しているのは間違いない。

そんな僕にとっては美しいインドにまたいけることになった。
またおなかは確実にくだすだろう。20年前は5キロやせたから今回もちょっと期待してしまおう。荒療治ではあるけれど。

多くの石ころが降ってくる。

僕らのような意匠設計事務所と、構造設計事務所の大きな違いはクライアントが見えるか、見えないかである。つまり構造事務所は意匠事務所がクライアントだから、ある意味営業先はわかる。しかしながら僕はいままで4つの構造事務所と仕事をしてきたけれど、営業されたことはない。接待ディナーも。もちろんゴルフも。大きい事務所ではあるんだろうけれど、僕らのなかではあまり聞いたことがない。構造事務所と設計事務所の関係はドライなものである。僕らの場合、つまり意匠事務所にとっては、だれもが客である。だから石の営業マンがある日住宅の設計を頼むことだってありうる。逆に渋谷の雑踏にいる多くの人たちは僕のクライアントではない。もちろんいるかもしれないけれど、そこで呼び止められてお願いされることはありえない。まああたりまえだけど。しかしもし住宅を建てたいというクライアントがそこにいて、石を投げたら建築家に当たる可能性はあるらしい。それくらい設計事務所はあるんだよというジョークを聞いたことがある。本当かなー。

僕はここで仕事の質がクライアントを呼ぶんだよといった説教じみたことを書くつもりはない。だってそんなことは当たり前だからだ。

ともあれ僕らはクライアントが誰かわからない状況のなかで、運よく紹介してもらったり、突然のメールや電話で仕事を継続させている。そしてそれはほとんど奇跡だと思っている。けれどほとんどの設計事務所、とくに住宅を作っている人たちはそうやって奇跡を繰り返している。だからできれば他の食いぶちを見つけておくといいとされる。別の道のなかで最も素晴らしいとされているのは大学の先生だろう。専門学校や資格学校の先生というのもある。不安定な経営状況ではいいものはできない。いやできる人はなかなかの人物であるといえよう。まったくもって都合のいい話だけど、フリーランスかつ月々の安定収入も同時にほしいとは切に思う。別の道と呼ぶべきかわからないけれどインテリアや家具の設計という道は常に開かれている。これに関しては向き不向きはある。僕は好きだから続けているが、別の道、副業と呼べるかどうかはあやしいところだ。つまり収入的にという意味で。最近はそうでもないかな。うん。反省はさておき・・ユニークなところでは、お店をつくるというのがある。面白い例では小さなホテルをつくったり、フィットネス施設をつくったり。どちらも設計の職能を生かしたものだ。そして設計よりも稼ぎがよかったりするらしい。

さて、これらの副業を持つことが不純であるなんていうことも書くつもりもない。すべての設計の作業が純粋であるとも思えないし、建築家として幸せなのは必ずしも多くの仕事をすることではなくていい仕事をすることだとすれば、副業とうまく組み合わせるのがいいような気もする。

タイトルからどんどん話題が遠ざかっていくが今日は仕事の流れについて書いてみるんだった。しかもそれは半年前に僕が僕にだした宿題なのである。そしてそんな宿題もうやめたと先月宣言したわけだが、わけ合ってまた書くことにした。

というのもインドの田舎町から設計の依頼がとどいたからだ。半年前には北京から電話がかかってきて家を作ってほしいというものだった。フランスからもお店をつくらないかという話もきた。しかもフランス語のメールで、翻訳したらそんな話だった。家具の仕事はさらに垣根が低い。ひょいっとメールでやってくる。メールのまま飛行機のチケットが送られてくる。これは僕の仕事がよかったという話に帰結させたくないし、そうとられてほしくもない。日本の建築家が世界中で活躍していること、世界中のメディアに日本の家やデザインが広がった結果でもあるといっていいと思う。いってみれば僕のところにきた話はおこぼれなのである。

インドと北京のクライアントに聞いてみると、日本人の建築家に仕事を頼みたかったと言っている。そうなのか。うれしいことをいってくれるじゃないか。ドイツのブンデスリーガーが日本人のミッドフィルダーが人気になりつつあるというニュースをよく見る。もちろん香川の影響は大きいとは思うが、そこに至るまでの日本人選手の頑張りがいまのブームをつくっていることは確かだ。大リーグにおいて野茂やイチローが果たした役割のような。そのような先人、先輩、同僚のおかげで、僕らはしらないうちに世界中のマーケット(マーケットとはいいたくないが)にピックアップされつつある。僕はグローバリズムがもたらす平準化や競争といったことはむしろ残念だと思っているけれど、流れは止まらないだろうと思う。大きな流れに逆らうよりは、むしろ肯定的にとらえてそこでできることを考えていくべきだと思うのだが、グローバリズムのおこぼれが僕の北京行きやインド行きなのだ。

先ほど石を投げてもクライアントに当たらないといったが、クライアントが石を投げると建築家にあたるというジョークはなんとも皮肉だ。それくらい建築家といわれる人、建築士なんてくさるほどいるわけだ。やれやれ。。その石がこつんと僕にあたる、それが仕事となり、おかげさまで飯がくえる。石が当たらない理由はなにか。もちろん生真面目に答えれば生真面目の答えがやまほど出てくる。で、僕はこう考える。石を投げる人が増えたら当たる確率も増える。

今の僕が感じている仕事の流れはそんな感じである。いままでだったら海を越えて届くような石はとてつもなく高級なものばかりだった。最近では前回のブログでも書いたようなデスクトップコンペティションがグローバル化しているせいで、ちょっくら石を投げてみるかと思うクライアントがいる。あきらかに僕の周辺にふっている、そしてそのほとんどはあたらないけれど、その石が思いのほか多く飛んでいる。そしてその石をキャッチして投げ返すかどうか。それがすべてである。

僕はいい仕事ができればいいといつも思っているけれど、仕事を通して知らない土地にいくことはひとつの喜びである。それは都心であっても、東京近郊であれワクワクするのだけど遠ければ遠い、外国であればなおのこと仕事を通じて文化を学ぶことにもなってくる。だから年に何回か、仕事を通じて旅行らしきことができることはうれしい出来事だった。ただし、これも数が増えてくると。。最近そうなりつつあるのだが、あのいまいましい狭いシートで10数時間飛行機に時間がとられ、睡眠をうばわれ、忙しくなりつつあることに若干方針を変える必要がありそうだと思っている。

あたらしいものづくりの時代

住宅建築6月号に書いたコラムです。本当のことをいうと、makersという本を読んだあとで「おー、これからのものづくりは違うぜ。」的に若干熱くなっていたところもあります。同時に2年という長い年月をものづくりの現場にどっぷりつかっていたこともあり、いままでの仕事をふりかえると部品や家具を自前で作ることでなんとか質を保ってきたところもあります。このコラムは、そんな思いや経験をえいやと書いたものです。ちょっと威勢よく書いているわりに実例がちっぽけなのが気になりますが。。。

ともあれ、ひさしぶりに読んだ住宅建築。やはり渋い雑誌です。いい記事がたくさんあります。(むしろ私のコラムはおまけ)ぜひお手にとっていただき、できればお買い求めいただければ幸いです。

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あたらしいモノづくりの時代:

建築は多くの部品から出来上がっている。その事実は、私自身はじめて設計図書を作成するときに、大きな壁として立ちはだかった。そして事務所のバックスペースにある膨大なカタログ棚の意味を突如として理解した。これを覚えないことには何も始まらないのだと、本棚の左から順番に、丁番や、ドアノブ、照明器具などのカタログを片っ端から見た。ひととおり頭にプロダクトが入ってくると、今度は案外欲しいものは少ないことに気づいた。設計事務所のマーケットなんて大きな住宅産業においてあまりに小さなパイである。多くは何とか風というような悪趣味なもので構成されており、町がこのような製品によってできている事実にはいまでも残念でならないのだが。。。さて、頭に商品が入ってさえしまえばカタログ棚の前に立ち尽くすことなく、いつものお気に入りの品番をスペックしていくという作業に切り替わる。さらに知識が増えてくると、本当に使いたいものはカタログに載っていないじゃないかということに気がつくことになる。よく考えれば当たり前のことである。すべてがカタログに載っていると思うほうが間違いだ。そして特注を恐る恐る試みた。当時はネット情報ではなく、タウンページで町工場を探すことになる。そして特注という大海原に興奮し、どこまでつくれるのかチェレンジするようになった。特注という世界にどっぷり浸かる人生の始まりである。

そんなモノづくりの環境に飛び込んで様々のものをつくっているうちに、家具や照明を自分で設計して作ることの楽しさをしり、それらを制作してくれた家具金物屋(スーパーロボット)に2年ほど就職することになった。そこでは自分たちの展示会用プロトタイプ製作のみならず、多くの設計者やデザイナーのためにモノづくりをサポートした。現在は設計者と金物屋という関係にもどりはしたが、いまでも私にとっての大切パートナーである。またそこでのモノづくりをしてきた経験を踏まえ、いまもいくつかの工場と直接やり取りをして、リースナブルな部品を作ったり、特注家具や照明をつくっている。そうしたツールは私のとってはあたりまえのことになっているが、むしろそうした飛び道具なしにどうやって空間をまとめていいかわからないぐらいである。

建築全体のデティールコントロールは、思いの外空間に与える影響は大きい。いや大きかったというべきだろう。徹底してみた結果これは違うなと気づいた。大事なところは、窓まわりや軒先のデティール、家具や照明ということだと思うが、扉につく戸手やスイッチプレート、フックや水栓金物にいたる小さな脇役も、一貫したコンセプトをもち選択していくべきだと気づいた。そうした統一感からうまれる景色によって空間の印象は随分ちがってくるのである。空間をシンプルに美しくみせるためにデイテールを消してしまうのは、本末転倒だ。デティールにこそファンクションがあり、設計者の意図が最もあらわれるところでもある。それをみすみす放棄するのはなんとも残念である。必要なデティールをきちんとデザインすること、それはむしろチャンスととらえるべきなのだ。

そんな小さなデティールを特注している実例を紹介したい。開き戸用の引き手である。最初につくったのは2007年で、現在に至るまで長い時間をかけて改良しつつある。開発の経緯はもちろん、既成品に調度いい金物が存在しなかったからだ。開戸の金物としてハンドルは大仰だし、つまみでは使いづらい。プッシュラッチは大きな扉には不向きだし、2つのアクションを必要する。扉の中に納まり使いやすい金物を開発していくことになった。試行錯誤をしていくことになった。仕様によっては1つ1万円近くするものもあれば、20個つくることで2000円以下におさえたものもある。小ロット生産をすることで価格をさげるため在庫をもつことにしたものもある。最終的には30度に曲げたプレートを挟み込んだ金物で落ち着いた。これらは片側で使う場合と両側から使う扉にも対応している。また大きさは扉に大きさに比例して大きくしたり小さくしたり、クライアントの手の大きさを反映させたりもする。場合によっては特注の玄関の取手とのデザイン的な関係性をつくることもある。

この金物は、現在足立区の板金工場に発注している。彼らは精密板金屋であり、本来建築の部品をつくる工場ではないが、弊社が設計、販売をしている本棚も製作してもらっている。彼らのことは今から10年以上前に照明デザイナーである岡安泉氏に紹介してもらった。岡安氏は建築家のために必要な光を特注している。彼は最終的に器具をつくるが、それはあくまで特注された光のためであり、ときにその形はまるでコンピューターの箱のようだったり、まるでカメラを分解したようなものあったりする。彼が目指す本当に必要な光はカタログからは選べないのである。彼が光のことを考えるように、私たちも空間において必要なデティールとはなんなのかと考えるべきだ。そう考えた時に、やはり一度カタログ棚から離れてみる必要があるのではないかと思っている。本当に必要な機能から生まれるデザインを追求し、建築にそのデティールを展開していく。そこには正しい統一感がうまれ、豊かな空間が立ち現れるのではないか。もちろん、コスト的に既成品を使う選択肢しか残されていない場合もある。やはり少量生産はどうしても割高になる。しかしながら設計事務所が小さなメーカーとなり、少量の部品をストックしておくという作戦はないだろうか?

現実は、かつてジャンプルーベが、建築家をメーカーの営業マンだと蔑んだ時代からさらに悪化の一途をたどっているようにみえる。ローコスト住宅に疲弊し、現実をながめるならば既成品を選択しなければいけないかのようにみえる。しかしながら一歩外にでてモノづくりの環境を冷静に俯瞰してみたときに、プルーべの時代よりもはるかに特注の環境はととのっている。そして製作のみならず、販路も思ったよりも簡単に手に入れられる時代である。小さなチームをつくり建築設計の傍ら、そうした特注を販売するメーカーを運営することも可能だ。

簡単につくれる。そしてモノがよければ、売ることもできる。しかも少量生産であっても製造、販売ともに対応した工場とマーケットがある。つまり私達はいま、いままでにないほどの特注の時代に生きているといえるだろう。

そして、建築にあたらしい息吹を設計者のバイタリティーによって生み出せる時代にいきている。小さな取手にとどまらず、照明器具、家具、はたまた小さな住宅まで、メーカーの営業マンとよんだプルーべを見返し、自らメーカーとなり新しい建築を生み出す入り口に立っている。

すくなくとも私はそう信じている。