2011 - Journal

髪を切る。美容院を作る。

僕は美容院にいくと、ひとこと「短くしてください。」と伝える。このスタイルは決して髪がうすくなったからという自虐ネタではなく、10年ほど前からかわらないスタイルだ。どちらかというと、美容師としゃべるのもそれほど得意ではない。が、実際世間話はせざるえない。にこやかに話しかけられるからだ。髪を切ってくれる人、髪を洗ってくれる人、マッサージをしてくれる人、それぞれと。残念だけれど数時間後にはすぐに忘れてしまうような話だ。どちらも、社交辞令だということはわかっているから、あたりさわりのない話になる。
昔、村上春樹のエッセイで、床屋での最初の話題に気をつけろというたぐいの話があった。思わず話をしてしまった話を毎回きかされることになるのだとか。床屋なりの営業努力だからしかたがないけれど、せっかくの社交辞令でもそれなりにウィットにとんだものにしたいという努力、それは初めての床屋でどのような話をするかにかかっているというわけだ。この話を読んでからは、美容師との話を楽しむ方向にしていこうと努力することにしている。

さて、前段はこれくらいにして、僕にとっての初めての美容院ができたので紹介させていただきたい。クライアントの高梨さんは渋谷の美容室でながらくチーフとして修業を積み、結婚、出産(奥さんが。)のタイミングで独立。この境遇は僕の昔に似てなくもないが、高梨さんは将来が約束されている、つまりお客さんがすでに多くいるという点のみ違う。オープンしてそろそろひと月になるが順調だという話を聞く。設計者冥利につきる。この仕事は付き合いのあるグラフィックデザイナーのカイシさんから紹介してもらった仕事だ。美容室にとって、ブランディングは場合によっては、内装よりも先に考えておく必要がある。だから「ぼたん」という名前からどのようなロゴをつくるべきか、内装にすべきかを場所を借りるまえからディスカッションを重ねた。ありきたりかもしれないが、友達の家に来たような、素敵な友人の家を訪ねてきたようなそんな内装がいいだろうということになった。決して大きくはない器、3人のための美容院だ。ピカピカのツルツルの内装で、元気よく「いらっしゃいませ!!」というのは、客を委縮させやしないかと。真っ白の歯で、ベストをきた美容師がこちらへどうぞ!というのはやめようと。カイシさん、高梨さんからも賛同をいただき内装の設計をスタートした。

まず何が美容室らしくしているか?あのクロームメッキのパイプフレームに、白、または黒い合皮の椅子。機能的には違いないが、あの椅子とガラス中心の内装だろうと思った。床も往々にして白くてピカピカ。照明は、美容室かコンビニかくらいに明るい。確かに必要な明かりがあることも確か。でも看板がわりの明かりは今の時代にそぐわない。今まさにそぐわなくなった。また、コストをぎりぎりまで切り詰めたいというのはすべてのクライアントの願いだ。僕は職能としてそこに対してもソリューションを出さねばならない。

内装は、必要最低限。トイレとバックスペースの壁。あとはすべて家具と建具で構成している。エントランスのカウンター、間仕切りを兼ねた収納家具。顔を柔らかくテラス照明とコンセントを付属した鏡つきの什器。床はスケルトンのコンクリートの上に、レベラーでなめらかにしただけ。あとは、room-composit作成によるポスター2枚のための額。これはエントランスの扉同様、タモ材。そして中古の家具市場を眺めて手に入れた3脚の椅子。アームがついて、座が皮張りのもの。必要最小限の照明。家具は同じコンセプトでつくっている。合板+表面材による構成。小さなスペースでも動き安く、また使いやすいものを。

結果として、空間は一つのやわらかいつながりのあるものになっている。何かが強すぎず、謎解きのようにちょっとずつ関連を持ちながら、一つの空間ができあがった。その環境にやわらかくつつまれながら、決して短くはないその時間をゆったりと過ごしてもらいたい、これは美容師の高梨さんの願いであり、僕と、カイシさんの願いでもある。

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ミラノサローネ雑感

ミラノサローネは大きくなっていた。今年が50周年だからということも関係しているのか、それともどん底景気から立ち直ったからなのか。フィエラで2700の会社が。外側で4000ものギャラリーが家具やそれにまつわる展示を行ったのだとか。到底5日間で見きれる量ではない。それでも、皆ここに集まるのである。もはやここにしかチャンスがないのではないかという焦り。サテリテに実力のあるデザイナーがいまだに展示をするのは、ここにチャンス、このチャンスしかないのではないかという焦りの表れだ。そしてそれだけの集客があるという事実。ジャーナリストも多い。おそらくバイヤーも多いのだろう。このイベントのヒーローたちもちらほら見かけた。スーパーデザイナーたちだ。ジャスパーモリソンやは子連れできていた。

僕はそんな彼らを遠目に、今回はひたすら見た。歩いた。そして展示しているデザイナーと話をした。僕も含めて、彼らはどこかでなんらかのゴールを設定して動いている。つまり、名前の通った家具会社と仕事をすることだ。ところが、この記事を読んでいると、また何人かのデザイナーと話ていると、なかなかうまくいかないようだ。やっぱり。家具のデザイン業界は、とても華やかにみえる。ことミラノサローネでは強く感じる。けれども、この記事の最初にあるように、デザイナーはその業界をもりあげるためのボランティアになりさがっているのではないかというのはここ数年よく聞く話だ。僕の知っている有名メーカーの展示会で飾られている家具は、実はデザイナー、あるいは協力業者から委託されたプロトタイプだったりする。そして、展示会で評判をきいて、売るか売らぬかを決めているのである。売らないとなれば、そこまでの苦労はおじゃん。売るとなっても何個つくるかはメーカーまかせ。ロイヤリティー契約をしたとして、10個では話にならない。その記事のなかにでてきているデザイナーは、メーカーから5商品でて、去年のロイヤリティーが800ポンド。半月分の家賃だとか。もちろんこんな話ばかりだけではないとも思うが。こんな話もある。今年のサテリテでメーカーから声がかかって、プロトタイプを置いていくことになったと喜んでいたデザイナーがいた。おめでとうというと同時に、プロトタイプは返却するむねの契約を交わしたほうがいいと伝えた。僕は、プロトタイプがもどってきたためしがない。次へのプレゼンもいけず、悲劇である。再三のメールや連絡にもかかわらずだ。日本で騒いだところで何もはじまらない。イタリアマフィアのようだと知人のオランダ人デザイナーが口をすべらしたゆえんである。(そんなマフィアは、イタリアに限らず。家具マフィアとしておこう。)

しかしながら、確実にステップアップしていくデザイナーもいる。家具のデザインをかわきりに、企業とのコンサル契約という話もあるし、思いもよらない話が舞い込んでくることもある。だからそうしたプロトタイプは、営業経費だということもできる。きっかけづくり、フックとしての家具のデザイン。あるいはいいメーカーとがっちりいい家具を作るというチャンスにめぐまれた人たちもいる。結果としてそうなれば、がんばって展示した甲斐があったということだろう。

とはいえ、家具のデザインを志す人間がこれだけいるわりには、まともにこれだけで商売出来ている人がいないというのはいかがなものか。インハウスは別として、家具で生活できる人は、日本では両手でたりるくらいなのではないか。これは言い過ぎかもしれないが、僕が見聞きする感じでは本当にそんな感じである。つまり家具デザインにこだわっていると飯がくえない。いまのままでは。

当然僕らはそれをしっているから、僕や廻りの優秀な友人たちは、家具のデザインは業務の中に混ざっている。僕の場合、家や、インテリアを設計すると同時に家具の設計や製作をする。さらにはそこからの延長で直販に近いものもある。年間通じての利益は、800ポンドよりは・・多い。また、そうしたプロトタイプを出し続けたおかげで、突然ヨーロッパの家具メーカーから声がかかった。僕に実績がないこともわかった上で、その可能性にかけてくれたのである。これから2年かけて開発していくことになる。若き優秀な家具デザイナーの小林幹也さんは、ついにショップを構えた。すでに好評だとか。そのデザイナーから直接買うことを、楽しむ人もいる。ちなみにこの場合はロイヤリティーではなく、その十数倍近い小売店経費が収入となるはずである。彼はサテリテに2回だし、ここ数年国内メーカーとの協働をへて、いまに至る。

時差ぼけの頭でここ数日いろいろ考えたのだが、結局のところ、ミラノ詣では続けていくしかないないのではないかという結論にいたる。いやもちろん、そうではないという答えもある。ただ、僕はそうすることに決めた。目の前でくりひろげられていることが、シャンパンの泡のようだとしても、いくつかの本質的なデザインが生まれ、偽物も本物もただひたすら見ること、触れることからしか学べないこともある。そして、デザインを通じて世界とつながっていたい、これは実のところ僕が家具をデザインする一番のモチベーションだ。また、あまりにも大きなイベントがゆえに、そこからしか生まれない何かがあるということに気付いたといえば聞こえはいいが・・。仕事の減少とともに、今朝も妻にミラノなんて言っている場合だったの?と嫌みをいわれたが、結局は、また行くしかないのだ、何かを提示しつづけるしかないのだと振り返る。と同時に、このタフな時代を生き抜く新しいアイデア、僕らのデザインをつかってもらうアイデアも考えつづけなければと。

飛行機、早朝、石巻

いくつも書きたいことがあるけれど、まずは無事に飛行機にはのれたことをご報告。空港職員のあせり顔にまだ余裕があったのでほっとした。1時間以上電車がおくれているのに飛行機は定時でとばした。きっと何人かは乗れなかっただろう。とくに京成線でいこうと思った人は僕もふくめてだが、そこでまったく動かず、僕がのったNaritaEXPを逃した人は絶望的だ。
まさか千葉で震度5は想定していなかった。今後電車が時間通りに動くという日本の常識をうたがわなければいけなくなったことは、生活はもとより経済に多くの支障をきたすだろう。頻発している余震も、原発同様長い付き合いとなるとの記事を読み、覚悟を決めた次第。

毎年恒例の行事にしつつあるが、ミラノにきている。ミラノ行きの話は社内でも家族においても若干ナイーブなのは、どこまでが仕事で、どこまでが休暇かわからないところだ。今回は出展しないつもりで、つながりのあるメーカーに顔つなぎ程度に話にいき、少々営業をして、毎年ミラノでしか会わない仲間に会う程度に考えていた。もちろん集中的に展示を見れるということはリサーチとして必要なことかなとも。偶然声をかけてくれたwallpaperの企画展は、まあタナボタみたいなもので、そのナイーブさがすこし和らいだ。ありがたかった。

さて、例によって時差ぼけで目がさまてしまったから書いているのだが備忘録としてできれば書き続けたいと思っている。今年のミラノ日記。本当は先週末行った石巻のことも書きたい。これは少々腰をおちつけないと書けないがイントロだけ。現地にいって思ったこと、それは何かできると思っている、強くそう思っている人は、ぜひ現地へいってもらいたいと思う。もし石巻にボランティア、あるいは今後の支援のための調査をしたいと思っていて、どこに連絡すべきかを悩んでいる人は僕に連絡してほしい。現地で寝るところと話が聞けるネットワークを提供できると思う。
におい、殺伐な環境、現地の人からくりだされる真剣な言葉を聞けばその思いはさらに強いものになるだろうから。

空港で走れ。

飛行機の離陸がせまっているにもかかわらず、電車は成田手前でとまっている。
旅にトラブルはつきものだが、311とは比べ物にならない小さなトラブルについて
ごちゃごちゃ書くのもなんだが、目の前にPCがあるので少しだけ。
どういうわけか、トラブルなれしてしまったせいもあるが、ここ数年旅行にいくとなにかが
起こる。台湾では飛行機がキャンセルされてもう一泊せざるえなかったし、
去年は噴火で帰れなかった。この間のスキー旅行では、間違った新幹線をのり、
どんこう列車でもどってくるへまをやらかした。今回は、地震でたどり着かない。20分は
とまっている。ここからタクシーに乗ったほうがいいのか悩むところだが、
急がばまわれということも、トラブル時には鉄則である。
こうしたトラブル時には、思いもよらないヘマをやるものだし、同時に頭がフル回転して
思わぬ解決策を見出すこともある。僕らの仕事ではトラブルはつき物だから
そのトラブルシューティングこそがその人の能力ということもある。
トラブルに巻き込まれた、あるいは自ら招いてしたっま状況でも体を動かすまえに
あたまでシュミレーションをすることが大事だ。(わかっていても間違うんだけど。)

今回のトラブルのシュミレーションはまず、走る。
聞く。お願いする。空港社員にお願いしてならばないで様々なチェックをくぐりぬける。

うまくいくかどうかは次回のブログにて。

Hirosaki,House-S,Hairsalon Botao and Ishinomaki

1:
The container for Hirosaki-Knife for Salone.
Hirosaki is very far from Tokyo and have to go through Tohoku area that was hit by earthquake,then I will see them in Milan.
Hope it works very well.

2:
I just finished interior design for Hair-salone in Daikanyama,really center in Tokyo.
I will upload all of photo soon.


Photo: Takumi Ota

3:
I also finished house in tokyo recentry.There are still small constructions though Japanese magazine,modern living just published this house.I will ask a photographer to take soon.

4:
Dailytonic took up Mishima house.

5:
I will go to Ishinomaki to meet my friend’s family who is my client as well.
I am not sure I can do for them so far.But I will bring my friends to help then on this weekend.

”Inspire Japan”参加のお願い

物事はいつもころがっていくものだ。
ころがり落ちるというよりは、ときには不思議なエンジンをもらって前にすすんでいく。往々にしてお金や名誉に関係ない場合にこの状況は起こる。

先日ドリルデザインと橋本潤さんと会食をし、ミラノにせっかく行くのだからあちらでチャリティー、もしくは日本の話をするべきだということになった。もちろんそのタイミングでは単なる思い付きであり、いったいになにをどのように動かせばいいのかも見当がつかない状況である。メールでやりとりを重ね、現地にも連絡をとりつつギリギリ実現可能な範囲でなにができるのかを話し合ってきた。なにせミラノ行きまで2週間きっていたし、誰かがスピーチをして、震災のパネルがあって、コンサートを開いて・・というようなオーセンティックイベントなぞ開けるわけも、それが正しいとも思わなかった。そのタイミングでポっと話題に出てきたのはペチャクチャナイトである。さらにミラノにもそのオーガナイザーが存在しているはずだということになり、さっそく日本側とミラノ側に連絡。返信はほぼおくったと同時。主催者であるAnna Termiteさんによると彼らも同じようなことを考え、日本人のプレゼンターを探していたという。よくぞ連絡をしてくれたという感じであった。よくよく聞けば4/16日をworld pechakuchaという日に設定しており、偶然にもミラノサローネの期間中なのだ。
世界中のデザイナーや関係者が集まる場所で、震災への復興をお願いする。そこにたまたま多くの日本人デザイン関係者もいる。そこで僕らは発言の機会があたえられる。

今回の主題は ”Inspire Japan”これが、global pechakuchaのテーマである。
そして、プレゼンターは下記の三つのテーマについて20枚のスライドをつかい
それぞれ20秒で解説する。
(チャリティーとして機能しており、義援金はArchitecture for Humanity を通して震災復興に使用されます。)

1:
They could be simply about things that inspire us, or Japan how it has inspired you.
日本からインスパイアーされたことに対するプレゼンテーション。
2:
Great ideas or solutions that help deal with the issues at hand whether earthquake, tsunami or nuclear
今回のつなみ、地震、原発におけるそれを助けるためのアイデアについて。
3:
and the road to recovery.
復興への道のりについて。

さて、では日本側のプレゼンターとしてなに発言していくべきか?
僕は上記、3つのこと以外のことを積極的に伝えるべきだと思っている。

-例えば、すでに起こっている復興について、我々からできること、いますでにやっていることについて。
(こういったことは世界への発信が遅れている。)

-あるいは、3/11日、地震の直後、東京で起こったこと。現地で起こったことについて_都市の脆弱性について。
つまり我々が今回経験したことをつたえるということ。

-ここぞとばかりに今回の危機において、日本が、日本人がすばらしかったことの宣伝。

-デザイナーや、建築にたずさわる人間がこれから長いスパンで今回の震災にかかわることについて。

-あるいは、今回の震災における写真をセレクトして、明確のテーマをつくりうることができればそのようなこと。

いずれにしても、クリエイティブに日本からのプレゼンターとしてミラノをはじめとする世界各地で
この場を借りて伝えてもらいたいと思う。もちろんプレゼンターとしてたたなくても。応援するという意味で参加してもらいたいと思う。

ミラノでは、おそらく4/16日、場所はまだ決まっていないが、夜7時ごろこから
Fuorisaloneとよばれているエリアで開催される。

こんな個人的なブログからおこがましいのだが、
皆さんにお願いしたいことは、このイベントを一人でも多くの人につたえてもらうこと。
そして参加してもらうこと。
できれば、スピーカーとして、どこかの国で、ミラノでしゃべってもらうことである。当事者として、被災者の同胞として、また伝えるべき言葉を持つ者として。

ミラノにおけるプレゼンターに対しての問い合わせは 私、 info@keijidesign.com またはドリルデザインにいただけると幸いです。発表内容は自由ですが、事前にコミニケーションをとることで、より意味のあるプレゼンテーションにしたいと思っています。

ニュース / 新年度にむけて。

いつまでもニュースを見続けるわけにはいかない。実のところ、ぐっと落ち込んでしまう状況下においてリカバーする方法は仕事しかない。仕事があること、このような状況下においても、仕事を頼んでいただける人たちがいることに本当に感謝である。僕の事務所はいま3人態勢でやっているが、平均すると月に1つから2つ仕事の依頼があり、そのうち1つが仕事になるかならないかという感じである。今月は、このような状況にもかかわらず依頼があったことは、本当に喜ばしいことだ。止まってしまった仕事も当然ある。止まりそうなものもある。だからこそ思った以上に時間ができるわけで、いまいただいた仕事にいつも以上に時間をかける。これは優秀な僕の廻りのひとたち、カメラマンやグラフィックデザイナーの皆さんから学んだことだ。いつだって手をぬけば、それがそのままかえってくる。天に唾をかけるようなものだ。妻はだったら早く家に帰って家の仕事をやれというだろう。それも一つ。朝はできるだけ保育園におくるからゆるしてもらうおう・・。

さて、今日のテーマはニュースである。新年度にむけてのご挨拶も含む。

3人の小さな事務所であるが、それなりに起伏にとんだ日常をおくらせていただいている。
それが僕らの仕事のおもしろいところだし、実際タフなところでもある。
時系列でもなく、思いつくままならべさせていただく。

1:弘前のナイフを世界に紹介する仕事。というのが突如舞い込んだ。
企画自体は、これ。wallpaper handmade
プロジェクトリーダーは、wallpaper* 世界中のユニークな道具におけるその箱、コンテナのデザインという企画。たぶん、いくつかあるうちの一つの企画なのだとおもうのだけれど、確かに面白い。僕にとっては当然、寝耳に水という感じではあった。正直僕がなぜ彼らのセレクションにはいったのかよくわからない。確かにwallpaperの編集者、2人ほど連絡をとりあっている人がいて、時々なんか面白いことない?的な情報交換をしている。そして、家具を二つのせてもらったことがある。だからといって、彼らにとってそのような日本のデザイナーはやまほどいるだろう。その家具と弘前のナイフの相性がよかったからということなのか。とにかく、そのプロジェクトははじまって、弘前にいき、職人や商工会議所の人たちと一杯のみ、なんだか長い付き合いになりそうな気がしている。木工の木村さんは(コンテナをつくってくれた)わざわざミラノまできてしまうという入れ込みよう。いずれ紙面でも発表になるとのことだけれど、この時期にミラノにいかれるという方、どうぞよろしくおねがいします。4/13-18日 Brioni House in Milan

(というわけでして、4/12-17日まではミラノに出張となります。)

2:住宅の竣工。追加の家具工事があるので、撮影は4月末。先行して雑誌の撮影がありましたが、ほんの一部。

3:美容院の竣工。3人をもてなすための小さな美容院。美容院におけるいくつかのタブーを犯して、こじんまりとして居心地のいい、スペースになるように心掛けつつ。

4:石巻プロジェクト開始。僕は去年、おととしと何度か石巻に足を運び、そして和食屋さんをつくった。毎年夏に川開きというお祭りや、近所の島に遊びにいったりもした。今回の津波でほとんど流れてしまったという。オーナーさんは、そこでお店を続けることを決めているという。まずは4/9-10と石巻に行き現地視察と、家の中の点検、そして一部修復。インフラ整備後、仮設店舗という計画。がんばれ石巻。

5:3月から始めさせていただくお仕事。マンションリノベーションの仕事2つ。そしてオフィス。ありがたい。本当に。

新年度もどうぞよろしくお願いします。

News 0328

Tokyo is getting better than last week.

People are coming back from Osaka,nagoya and all over the world.
Still there will be Rolling blackouts in some area,then we have to take care of that and trains sometimes though.
Nuclear power plant still are not good situation,but is much better.
People say tokyo is safe enough.It means the area in Nuclear power plant is not.
I would like to pray for the people there and pray for the people who died for this earthquake.

I am not very sure it’s good timing or not,I will show recent my schedule as below.

  • I will exhibit at Wallpaper* handmade with Hirosaki’s products at this year’s Salone del Mobile.
  • SlYBOX is featured by Wallpapaer* in April
  • Pipeknot is featured by Designnet in March
  • Pipeknot is featured by WOHNREVUE in March
  • Thank you for reading.

    Best regards,
    Keiji

    震災後の10日間

    夢じゃないだろうかと何度思ったことだろう。去る3月11日未曾有の巨大地震に見舞われたあとの怒涛の悲劇、そしていまだに不確かな状況で世界中に衝撃を与えつづけている原発事故。この10日間、多くの人同様ニュースを見続け様々なことを考え続けてきた。それはこの状況下で自分に出来ることは何かということのみならず、友人の住む石巻のこと、原発で被爆された人たちのこと、その周辺地域のこと、今後の日本がどうなっていくのだろうかという拙い想像や、僕がこれからどのように仕事をしていくのか、家族を守っていけるのかという極めて個人的なことまで。そしていまもニュースを見続ける。時には涙を流しながら、子供と遊びながら、横断歩道を渡りながら。どうやら、夢じゃないのだと毎朝思う。
    子供たちは、地震が怖いといっている。テレビの映像とあの地震がつながっていることに
    ようやく気づきはじめている。すくなからず不安がっている。
    実はこんな状況下ではあったのだが、台湾に出張にいっていた。2泊3日が飛行機がキャンセルされて3泊になってしまったが、その間すこしでもこの状況が変わるかと思いきや、僕も含めて何も変わらなかった。台湾では日本よりもヒステリーに状況を伝え、とくに原発に関してはまるで隣町での原発事故のようであった。空港でマスクが配られ、テレビでは天気図と風の流れによる影響を討論している番組をやっている。僕はスマートフォン片手に日本でのニュースを追いかけ続けていた。
    海外にいる友人、知人からメールやらfacebookにてお悔やみのメールが届く。いつもあなたと一緒だという英語の表現を知った。これが英語におけるお悔やみ申し上げますというセリフらしい。僕はそのメールに僕も、家族も大丈夫だと返信をしてきた。それ以外ほとんど書くことがなかった。
    いつもよりも感傷的になった。ニュースや写真をみて恥ずかしい話だけれど泣かない日はないくらいだ。感動したり、悔しかったり、悲しかったり。
    いずれにしても10日間たった。そろそろこうした喪に服す期間も終わりにしようと思った。本当は遅いのだろうと思うけれど行動をするタイミングだろう。一つはいつもと変わらず行動し、経済活動をする。これがいかに重要かは様々なメディアにて話されているから余計な解説は必要ないだろう。そして寄付以外に何ができるのか。僕ができることはなんなのかを考えはじめよう。これは案外難しい。僕は石巻で出来ることを探ろうと思っている。最後にこの困難な状況に負けてたまるかと決意しよう。この先どんな困難がこようが、負けてたまるかと。実はいろんなところから勇気と希望をもらった10日間でもあったということにあらためて気づいた。

    open house

    Architects in Japan often held “open house” before client live.I am not very sure it’s common in any country.It’s good for us to see my friend’s work without client’s eye…
    I also like to see how clients live there though.

    Miha design,who are very close to my friend as well as are one of the talented architects in Japan,held open house yesterday.
    I am always surprised at their way to make space.

    It’s in the housing area and very tight space in Tokyo.
    But the house are very succeed to have very open,comfortable and private space.

    There are lots of skylight and void,then first floor are amazingly bright though there are the house in the very complex area.The step and the structure wall makes good rhythm for the space.The long slit window in the dining is very effective.The window put on the gap in next door’s house and another house.

    I also met their teacher in their university there.This kind of event also works like that.

    I broght my daughters there,it’s usually not to invited.They liked to clime the attic as most children did that.I could enjoy to see my friends,nice architecture and entertained daughters.I could say It’s perfect Sunday.